
今は自分1人で考える時間が必要だ。
それを言い訳に、彼に内緒でほうずき市にいく。
浅草寺のほうずき市。
四万六千日と同時に開催される縁日だ。
四万六千日は、ざっと126年分。
一生分の徳が得られると言われたら、欲深い私は素直にあやかりたくなる。
ほおずきは盆棚飾りとして江戸時代から重宝されていたそうだ。
そういえば、子供の頃に祖父母の家に行くと、仏壇にほおずきが飾ってあった気がする。
夏休みは特に、祖母の家にはほおずきがあった。あれはそういう意味だったのか。
仕事帰り、浅草寺の仲見世通りを抜けると、立派な宝蔵門の手前に今日初めてほおずきの出店が現れた。
法被を着た売り子が明るくハリのある声で売り込んでいる。
その裏で、チリンチリンと沢山の風鈴の合唱がそれを後押ししていた。
ほおずきは、子供の拳くらいあり立派で大きかった。
それが小さな屋台に絡みつくようにぶら下がり、カゴにひしめきあい、売り場いっぱいに並んでいる。
けど汚く感じない。
どれもツヤっとした朱色の滑らかな表面に、風船のようなふわっとした膨らみ、吹いたら飛んでいきそうな軽やかな見た目が麗しくみえた。
祖母の家で見ていたほおずきはもっと小さかった気がする。
あれは祖母の庭で育てていたものだったのだろうか。
買おうか迷って、まずは参拝を決めて、真っ直ぐ境内の本堂に向かう。
人でひしめく御本尊前で賽銭とお祈りをして、答え合わせのためにおみくじをひく。
みくじ箱を振ると、勢い余って棒が2本出た。
仕切り直しだ。
丁寧に振ると、出たのは「末小吉」。
よくない。
さっきのどっちかにすれば良かった。
毎日精進することを静かに誓っておみくじは持ち帰ることにする。
本堂を出ると、見渡す限りのほおずきと食べ物屋台が並んでいた。
まさに絵に書いたような縁日。
活気と人々で賑わっている。
さぁ、ここからがいよいよ楽しみにしていた時間だ。
会社の冷蔵庫から誰も飲まないビールを持ち出してきた。
屋台でじゃがバタを買って、石段に腰掛けて冷たいビールと熱々のじゃがバタにかぶりつく。
来た頃は夕暮れで、オレンジ色の西日がほおずきをつやつやと赤く火照らせてて綺麗だった。
今はすっかり日が落ちて夜が深くなっていく。
今年は梅雨らしい梅雨で雨が降り続いていたが、今日は晴れた。
久々のスッキリとした夜空に、湿気の混じった風が吹く。
屋台街の赤いほおずきのカゴが揺れているのを眺めていた。
風鈴の音色もチリンチリンとなっている。
いつ聞いても癒される。
風鈴買って帰ったら怒られるかな。
彼に内緒で来てるのに、そんなことしたら自殺行為だ。
ぬるくなったビールを煽りながら、揺れる風鈴の短冊を見つめる。
時刻は8時。
帰ろうと決めていた時間だ。
あぁ寂しいなぁ。
あまりにも居心地の良い空間だった。
1人で生きていきたい訳じゃないのに、最近は1人になりたがる。
孤独がめっぽう快適になった。
彼といる時間も友達といる時間も、初めての人と交流する時間も大好きだけど、
誰にも合わせなくていい私でいる時間が、
いつからだか気楽で癒しで好きになった。
お酒の浮遊感が気持ち良い。
そっと目を閉じると
風の気持ちよさ、風鈴の心地良さ、楽しそうな声を体で感じる。
その場に佇んでいると、人間模様の1ピースとして私が世界に溶け込んでいく気がした。
誰の記憶の中でも、この時の私は登場人物にもならない名も無き存在だ。
役割も意味も持たない、私は誰にとっての何物でもない…なんて快適なんだろう…。
グシャっという音で目を開く。
左手で缶ビールを握り潰していた。
ビールはとっくに空っぽだった。
ほおずき買って帰ろうかな。
子供の頃、本当に小さい頃におばあちゃんとほおずきで遊んだ。
おばあちゃんがほおずきで笛を作る方法を教えてくれたのだ。
「皮を破かないように、優しくもんで中身を取り出すんだよ。」
幼い私は力加減がわからず、早く笛を作りたくて何個かダメにしてしまった。
潰してぶちゃっと中身が飛び出て、ちいさな手に汁と種が飛び散った。
私がすぐに飽きるので、おばあちゃんも手伝ってくれた。
ふたりでほおずきをもみもみした。
「これでいい?」「んーもうちょっとかな」
そんなやり取りを何度もした。
おばあちゃんは優しかった。
綺麗に中身を抜いて、お水で皮を洗って、笛ができた。
だけど、鳴らすのにコツが必要で、たしかふたりとも結局鳴らせなかった。
「なーんだ」なんて幼い私は言ってしまった気がする。
おばあちゃんは笑っていた。
今思い出すと、じんわりと涙が溢れてくる。
笛を作ろうかな。
赤くて可愛いカゴ入りほおずき5個セット。
ブラブラ揺らしながら、仲見世通りを背にして歩いてく。
老若男女問わず多くの人が赤いほおずきをぶら下げていて、なんだか可愛らしい。
かわいいほおずきだね。
なんとなく、小さい頃の私が、ほおずきに目を輝かせながら隣を歩いている気がした。
笛は、今だったらきっとうまく鳴らせる。
それはあの頃より、少しだけ力の抜き方を知ったからだ。